奇珠海水大和越神事

織星山安眠堂・奇珠海水神事

くすみすい やまとごえしんじ

 3.11 東北大震災のネガティブなエネルギーが、関東・東海大地震へと続くのを防ぐ為になされた、日本海から太平洋に渡る大和越え御神水神事。

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奇珠海水大和越神事・祈願取水

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2011・06・18

3.11 東北大震災のネガティブなエネルギーが日本列島の骨格に深くしみ込み、このままでは関東・東海大地震へと続く危険性が非常に高まっているので、日本海から太平洋へとつながる大峰山脈の神の道を使って、負のエネルギーを海へと解き放って欲しいのです。。。。

というご神託を得たものの、事前の下調べもほとんど出来ないまま、石川県珠洲市金剛崎に車を走らせる。

海岸線に出た時にはすでに陽も落ちていたが、海に向かって建つ大鳥居がいきなり視界にはいってきたので、吸い込まれるように車を止めた。

須須神社の参道はすでに闇の中。

明朝金剛崎での神事を済ませてから参拝しようかと思ったが、それでもと足を進めた。

神前にて祈願すると、すぐに男神が出迎えてくれたのだが、挨拶もそこそこに自らは脇へ退き、さらに奥にある御神光の前に迎え入れてくれた。

神域のさらなる奥(神髄)にいきなり迎え入れられる待遇を、却って不可解に思いながらも、その場は御神光を拝して戻り、金剛崎に向かった。

金剛崎は、聖域の岬とも呼ばれ、日本三大パワースポット(他は富士山と分杭峠=ゼロ磁場)の一つと言われている。

珠洲岬海域は、海の気、地の気、大気の気が集結する稀有な場所と言われる。

2011・06・19

*金剛崎
奇珠海水

  

鳳凰の羽翼が天空を暁に染める金剛崎にて、御来光を拝しながら、日本海を祈願取水。

*須須神社・高座宮

昨夜のことが気になったので、須須神社に戻ると、境内の案内板に、

須須神社(珠洲市三崎町寺家鎮座)縁起

御祭神

高座宮 

天津日高彦穂瓊瓊杵尊(あまつひだかほこににぎのみこと)

美穗須須美命(みほすずみのみこと)

金分宮 

木花咲耶姫命 (このはなさくやひめのみこと)

 当社は高座宮・金分宮の両社にご夫婦の大神を祀り、須須神社と称し「三崎権現」・「須須大明神」と尊崇され、東北鬼門日本海の守護神として、あまねく信仰され、災難除けの御神徳あらたかな御社であります。

 第十代崇神天皇(約二〇〇〇年前)の御代能登半島最東北端の山伏山(鈴ケ嶽)の頂上に創建され、天平勝宝年間に現在の地に遷座した国史現在社・延喜式内社であります。

 古代より縁結びの神として、世に知られており、この「むすび」とは単に男女の仲を結ぶだけでなく生成化育、修理固成という日本民族の根本精神である神業を、みずから妹背(ふうふ)の契を結び子孫繁栄の道を示し教えられた尊い祖神(おやがみ)様であります。

 かように、生業繁栄・五穀豊穣・大漁・交通安全・学業成就・縁結び・安産・育児・病気平癒・槌児祈願・鬼門除け等の大御稜威(おおみいつ)あらたかな日本海の守護神とし、古くから三崎大権現として深く信仰されています。

とあったので、金分神社へも参拝することに。

*須須神社・金分宮
お迎えの猫

    

金分神社は近くであったが、道一本奥まった場所にあった。

鳥居の前に車を停めると、足もとで猫の声。

飼い猫であろう。随分と人慣れた様子で、そのまま一緒に参道の階段を上がり神前に付き添ってくれた。

金分神社に参拝すると、九頭竜王神に守られた女神が出迎えてくれた。

今回の神事はこの女神が重要な位置を占めていることが、強く感じられた。

高座宮と金分宮に参拝したのなら、次は山伏山に鎮座する奥宮(御祭神・美穗須須見命 武甕槌命 經津主命 天兒屋根命 姫大神)に参拝するのが、当然の流れであったが、何故がその時は「ここまででいい」と思い、輪島を回って名古屋方面へと向かった。

道路わきに建つ奥宮の鳥居すら目に入らなかった。

2011・06・20

名古屋での13回忌法要は小雨の中であったが、直会の席で、行者仲間の方々に今回の神事について少し話す。

というのも、

*金剛崎・須須神社の御祭神が夫婦神として祭られいる事。

縁結びの神としては(高座宮・高倉彦神(男神)、金分宮・高倉神之后神(女神))

*今回の神事は、御神水=奇珠海水(くすみすい)を、奈良県大峰山脈を越えて、和歌山県西牟婁郡すさみ町見老津の「沖の黒島・陸の黒島」を望む夫婦波・合掌波へ放流して行うつもり(この時はまだ候補地だった)である事。

など、夫婦というキーワードが重なりあうため、夫婦波への神事は夫婦という一組の男女が適しているのではないかと考えていたからである。

しかし話をするうちにも、どうも話がかみ合わず、結局その場は旧知の行者さんに、ひとまずお願いする形で帰郷した。

奇須海水は安眠堂・祭壇に一時保管。

*安眠堂

2011・06・21~29

松本に戻り、日常の生活に戻ったのだが、どうしたものか日に日に身体が芯から重くなっていった。

梅雨明けまじかの猛暑のせいかと思っていたが、毎日の勤行もつらくなり始めた27日AM01:00。

お勤めの中で光明真言を唱えていると、お堂の上を奇妙な“渡り”があった。

神聖な御神渡りではなく、天上いっぱいの大きな虫=蜈蚣(ムカデ)が、数万本の足を這わすような、何とも気味の悪い“渡り”であった。しかも二度。

ただならぬその気配に、今回の神事は当初考えていたよりも複雑であり、かなり深刻なものであると知り、先日夫婦波に奇須海水を放流する神事をお願いするはずだった知人に、やはり自分自身が修法した方がよいことを連絡する。

2011・06・30

平成23年6月30日08時16分頃の長野県中部の地震について

報道発表日 平成23年6月30日

地震の概要 発生日時 6月30日08時16分

マグニチュード 5.4(暫定値)

場所および深さ 長野県中部、深さ4km(暫定値)

発震機構等 北西-南東方向に圧力軸を持つ横ずれ断層型(速報)

震度 【最大震度5強】長野県松本市で震度5強を観測したほか、中部地方を中心に、関東地方から近畿地方の一部にかけて震度4~1を観測。

松本をピンポイントで狙い打ったような地震が発生。

金剛崎にて取水した奇須海水を、お堂に保管して以来の重苦しくざわついた不安が、まさか足元から突き上げて来るとは思いもかけなかった。

この海水が何らかの引き金になっているのでは? 

との懸念も起こり、拭い去ることもできなかった。

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奇珠海水大和越神事・大和越え

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2011・07・05

大和=大峰山越えを実行するために、奈良県吉野に向かて出発。

もう何事もなく、無事に神事が行われるように願いつつ高速を走ったが、高速を降りて天理市に入った途端、ラジオから和歌山で地震・震度5強の地震があったとの速報。

地震:和歌山県で震度5強=午後7時18分

午後7時18分ごろ、和歌山県北部を震源とする強い地震があった。同県広川町などで震度5強、有田市などで震度5弱を観測するなど、近畿から中国地方にかけて広い範囲で揺れを観測した。気象庁によると、震源の深さは約7キロ。地震の規模を示すマグニチュードは5.5と推定される。東日本大震災や、近い将来の発生が懸念される東南海・南海地震などとの関連はないという。

16分後には余震とみられる震度4の地震があった。

松本といい和歌山といい、この神事に関わる地域が何らかの力によって、同機軸上に揺り動かされている現状を、もはや単なる偶然で済ませられなく思えた。

石上斎宮から天河大辨才天神社。

2011・07・06~08

世界遺産・国宝蔵王堂を本堂とする修験道総本山・金峯山寺に入り、蓮華会を経て、蓮華入峯一行に加わり、山上・大峯山寺まで奇珠海水を背負って登る。

身体は始終重かったが、山上での大護摩に出仕させて頂き、その後大峯山寺御神前にて神事成就を祈願して下山する。

2011・07・09

深仙宿・灌頂堂にて神事成就を祈願した後、熊野三山奥宮である玉置神社に参拝すると、御祭神が出迎えてくれた。

*玉置神社

玉置の神様は相変わらず元気がよく、男児の姿(実際はとんでもない年齢であろうが)をして、満面の笑顔でとび付いてきてくれた。

*熊野本宮(資料写真)

逆に熊野本宮大社では「遅いではないか」とのお叱りを受けた。

今回の神事(同時進行中の他の神事も含めて)については、御祭神に於かれてはかなり神意が入っている様子であった。

以前、現在の本宮地と大斎原(旧社地)の地場の違いを感じ、著作物にもそれを書いたが、動くべき時に確かに動いてくださる神霊が安置されているのだと、今更ながら前の非礼をお詫びする。

2011・07・10

夜明け前に本宮町を発ち、新宮・速玉大社に参拝。

開門前であったため外からの祈願であったが、以前灌頂させていただいた男神が、随分ご立派になられていた。しかし何故が黙して何も語らなかった。

神倉神社
那智の滝

                 

神倉神社にて御来光を拝し、那智の滝にて祈願。

那智大社を拝した後、熊野修験の一大本拠地・青岸渡寺に参拝した。

御本尊前ではご夫婦らしい方が読経されている最中であったため、僧侶の方にご挨拶をし、堂内に控えて待っていると、気を利かせて下さったのであろうか、御朱印所に白衣姿の清廉な導師が出て来られた。

副住職の高木亮英氏であろうか。。。と軽く会釈を交わした時、調度御夫妻の読経が終わり御本尊前が開けたので、奇珠海水を取り出し神事成就を祈願させていただいた。

祈願を終えて改めてご挨拶を申し上げた。

同氏のお名前は頻繁に耳にしていたし、共通の知人も多いのだが、実際にお話しするのはこれが初めてであった。

南部奥駆け道を拓いた新宮山彦ぐるーぷ皆さんの話、深仙宿にて断食行をされた伊富喜秀明(いぶきしゅうめい)行者の話。大峯順逆三十三度抖擻行の佐藤貫道(さとうかんどう)行者の話など、とても数分では話し尽くせないことばかりであった。

その場では今回の神事について話すことはなかったが、もし伊豊喜氏か貫道氏が御存命であったなら、どちらかの行者がこの神事を遂行されていたのかも知れないと、ふと感じた。

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奇珠海水大和越神事

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合掌岬
*奇珠海水

  

           

すさみ八景の一つ、夫婦波・合掌波を見下ろす国道沿いに着くと、早速海岸に降りて神事を修法し、日本海の御神水を太平洋に放流する。

さらに、百八編唱えて加持した土砂を散ずれば、十悪五逆四重を犯せし亡者も、たちどころに光明の身を得て極楽往生すると云われる光明真言を、百萬編(十落叉・らくしゃ)念じ込めた祈祷塩(落叉のお塩)を、東日本大震災において津波にさらわれた多くの犠牲者の冥福を祈って、太平洋に溶かし撒いた。

*落叉のお塩

*この塩が黒潮に乗って東北沿岸に上り、津波犠牲者の回向となりますように。。。

オン アモキャ ベイロシャノウ マカボダラ マニ ハンドマ ジンバラ ハラバリタヤウン

太平洋から改めて海水を取水し、車に戻ってエンジンを駆けると、再びラジオから速報が流れた。

9時57分三陸沖(牡鹿半島の東、約180km付近)、深さ34km。M7,3震度4。

東北地震の余震とみられた。

地震の発生した時刻はまさに、奇珠海水を太平洋に流したその瞬間であった。

2011・07・11

神事を終えて車を大阪に戻し、ご夫婦共に行者である知人宅に身を寄せ、親交を深めたその翌朝。不可解な夢で目を覚ました。

須須神社・高座宮の男神と金分宮の女神、さらに天河大辨財天神社の女神と自分、四者が何事かを協議していたのだが、何故か辨才天が不機嫌なのである。

*その事を行者仲間に話すと、御婦人も蛇様の夢を見て起こされたとの事・・・。

しかしその理由が解らず、帰郷する前にもう一度辨財天に参拝して帰ることに。

天河大辨財天神社

)

例大祭の準備であろう、境内は厳かに装飾されていた。

階段を上って神前に立つと、調度朝の祭礼の最中であった。

祭礼が終わるのを待ち、お神酒を頂いて改めて神前に祈ると、女神の機嫌はすでに直っていた・・・?

*女神の不機嫌であった理由は、ずっと後になって解ることになる。

2011・07・12~16

松本に帰郷したものの、未だ神事は完結していない。

理由は、夫婦波・合掌波にて汲み直した海水の処方の仕方にあった。

“一度日本海から汲んだ海水を、同量太平洋から汲み直して再び日本海に戻すことが必要。”

との認識は以前からあったが、問題はその手法である。

もともと自分ひとりで祈願取水したのだから、最後もひとりで修法すれば良いのだろうと考えていたが、当初から気になっていた夫婦というキーワードが、何時までも心にかかっていた。

そんな折、東日本大震災を縁に知り合った御婦人と急きょ会うこととなり、今回の神事を結び納める神事をご夫妻にお願いすることにした。

2011・07・17

再び金剛崎へ。

夜、山伏山を登り奥の院へと参拝したのだが、先の二宮とは異なり、神霊が人型をして迎え出てくれることはなかった。

神霊が祭られていない空っぽの宮なのだろか?

と神殿の中に意識を向けると、空ではなく、確かに“場”があった。

大きなうねりを持つ玄色のエネルギーが、静かに渦巻いていた。

と同時に、いつの間にか周囲に集まっていた眷族(山伏姿の一団や動物姿の一群)が、後ろに控え、背中を押し始めた。

その力に促されるがまま、渦の中に入り、私は今回の神事を今一度熟考し直してみた。

どうして大和=大峰越えなのか?

同じ量の海水を戻す理由は?

果たして成功したのか否か?

これからの神事はどうなるのか?

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奇珠海水大和越神事・神技納め

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2011・07・18

AM4時ごろ、金剛崎にてご夫妻と合流。

ご夫妻にはあらかじめ須須神社の高座宮と金分宮に参拝してくることをお願いしてあったので、早速海岸へ下り、神事を執り行った。

“奇珠海水大和越神事・神技納め”の表白を読み上げ、太平洋で取水した海水を三人で日本海に流した。

ご夫妻には、今回の神事は

御主人が高座宮の神霊の代(しろ・代わりとなって神事を成すもの)、御婦人が金分宮の神霊の代、自分が奥宮の代として成されたものであると告げる。

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奇珠海水大和越神事・付記

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以上が今回の神事の大筋である。

あくまで時間列に沿った略私記であるのは、継続中の神事があるためと、暗号のような神意を、私自身すべて解き明かしている訳ではないからである。

しかしその中で、山伏山・奥の院に於いて内観した切実な現状をあえて一つ上げる。

*日本の神事の現状

日本という島国は地球東端に浮かぶ小舟の様な小国であるが、地球上の神経細胞の塊のともいえる存在の一つである。

それが今回の東日本大震災によって大きく傷ついたことは云うまでもない。

と同時に、日本全土にくまなく張り巡らされていた神佛のネットワークも大きく乱れ、現在は神佛の宮替え(新たなネットワークの構築)が急速に進められている。

*小さな宮替えは平時でも日々行われている。

当然、神佛の意思を体現する役目を担う人間=代(しろ)の人生にも大きな影響が訪れている。

自らの立場を自覚している代でさえ、思いがげない苦境に陥ることもあるだろうし、自覚のない代にとっては、無理やり方向転換させられたかのような、人生の岐路にたたされている人も多いことであろう。

Uターンでもなく引き返すのでもなく、いきなり鋭角的に反転させられるのだから。。。

しかも二度三度。。。

神佛の宮替え(再構築)が一刻も早く成されることを願うばかりだが、それまでは宮替えを終えた神佛とその代は、不安定なネットワーク上で神事を続けざるおえない。。。

というのが、現在の日本の状況である。

不安定なネットワーク上で神事。問題はここである。

もともと地球自体が生命体のように日々活動しているのだから、その上で安定を保つことなどまさに神技でしかないが、それでもこれまでは、地球上に日々わだかまる大小の因縁を、神佛と代たちが協力して解消してきた。

*神佛、あるいは命そのものに対する人々の真心をエネルギーとして。

それぞれの因縁を、初めからなかったかのように帳消しにし、奇麗に燮和して平時に戻すこともできた。

しかし現状では不可能に近い。

ここしばらくは、大難を小難にすることも難しく、ただ単に別の解消法へ移すことしかできない。

大震災という堰は残念ながらすでに切られてしまった。後にできることは、その流れをいかに導き、どう鎮めるかだけである。

神事というものは、神佛と人と自然がぴたりと合わさった時にこそ起き得るものであるが、

この厳しい現状の中、神佛と多くの代たちが、少しでもこの国を安定させようと日々努めている。そこにはもはや成功か失敗かといった類の話では収まらない、綱渡りのような切実な現実があるばかりである。

今、日本の信心が試されている。

*神佛への信仰心が足りないから被災したと言っているのではない。

信仰心のあるものは、その信仰心の有るを試されている。

信仰心のないものは、その信仰心の無きを試されている。

今も東北の地、そして日本は揺らぎ続けている。

被災された方々の明日に少しでも早く光がさしますように。

不幸にも犠牲になられた方々のご冥福をこころより願います。

天地九拝

*奇珠海水大和越神事

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安眠堂・織星山 | 織星山安眠堂・しせいざんあんみんどう (anmindou.com)

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